みなさん、こんにちは。
台風接近中ですが、いかがお過ごしでしょうか?
先日、子ども食堂のボランティアとして参加させて
いただく機会がありました。
この機会に、子ども食堂のこと、
子どもと地域経済の可能性について
考えてみませんか?
子ども食堂とは?
・子どもたちの居場所や多世代交流の場づくりをめざして作られている
・安価で食事の提供をしている
・食事だけではなく、学習支援や遊びの提供の場として開催されている
ここで、ひとつ注意していただきたいことがあります。
よく、メディアでは「貧困の子に」「子どもの孤食をなくすために」
といった記載がされている場合も多くあります。
確かに、一部の子ども食堂では
食事が無料のところもありますし、
フードバンクと連携して、食品を配っているところもあります。
しかし、これらの表記が個人的には好ましいと
感じません。
船橋市の子ども食堂についてはこちらから
参考
ふなばし子ども食堂ネットワーク
https://funabashi-kodomoshokudou-nw.org/dining-list/
救うべきは子どもだけ?貧困だけ?
子ども食堂が生活に困っている子が行くところで、
食事はタダで、提供する側は善意でやってあげている!
と思っている方はちょっと待ってください。
解決すべき課題は
核家族化で人との繋がりが減っていること
現代では家族以外のひとと食を共にすることが
ほとんどないのです。
そのため、同じ地域に住んでいるという共通点で
食を通じてコミュニケーションをはかるというのが
もともとの役割でした。
しかし、メディアが「貧困」「孤食」の
ワードを盛り込んできたため、
子ども食堂の趣旨がずれてきていると感じます。
「やってあげている」だと、持続性がない
以前、社会活動家の藤原ひろのぶさんのお話会に
参加した時、こんな話をしていました。
「貧しい子を対象にだと、来る子はどう思う?
俺んち貧乏なんや、お金ないんやって思うんですよ」
この言葉の通り、主催者がやってあげているという
活動になってしまうと、なんとなく支援が必要な人のために
食事はタダでないといけない、とか
子どものために(自分が苦しくても)やってあげよう
という意識で行っていると、食事に来る側も
食事を提供する側もとてもしんどいものになってしまうのです。
地域の場としての子ども食堂
また、親が共働きで忙しい子という以外にも
「孤食」はあると思いませんか?
たとえば、奥さんに先立たれた年配の方。
転勤でその土地には友人がいないサラリーマンやOLの方。
意外と「孤食」を子どもにだけ結びつけることも
間違っていると思うのです。
しかし、それが大人であっても子どもであっても
どちらにも当てはまっているのに、
大人を除外するような設定になってしまうのは
やはり、「子ども」食堂というネーミングのせいでしょうか。
多くの食堂では親や子に限定しているわけではありません。
おとなと子ども、誰もが利用できる
利用していい場所なのです。
地域の誰もが参加できる 活動の場所として
今回は、非公開の子ども食堂で、しかも私は
主催者ではなく、いち参加者でしたが、陶芸Laboみかづきの活動と
根っこの部分は重なることがあると感じました。
それは、
地域でのつながりを作ること
顔が見えるひととのつながりを復活させること
家族以外に大人と子どもが交流する場を持てること
です。
「サービス」と名の付くものは
お金を払って収益を上げることです。
ですが、サービスにしなくても顔見知りの人との
ちょっとしたコミュニケーションで日常は
豊かになると思うのです。
お金をいただかなくても、あいさつをする
ちょっと声をかけるだけで、暮らしやすい
環境は作っていけると思いませんか?
まずは、知ることから
いかがでしたか?
わたし個人的には、「子ども食堂」がもっと
誰もが気軽にふらっと参加できる場所にしたい、
そして、もっとポジティブな印象を持って
親戚のおじさんのおうちにふらっと遊びに行くような
感覚で行くことが出来て
自分以外の価値観に触れたり、
普段は交流のない方とも気軽に
話ができる場所にしていきたいと思います。
少しでも興味を持っていただけたなら、
ぜひ、一度足を運んでみてください!
来月は正式にイベント告知もできると思いますので
ここでもお知らせ致します★